高柴倉庫

個人の日記です

ピーマン

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7月から通い始めたデッサンスクールのカリキュラムも半ばをすぎた。これまでアカデミックな絵の勉強とかは一切してこなかったので、デッサンと言われても、全然わからない、俺たちは雰囲気で絵を描いている、という感じだった。この講座の先生はデッサンや模写、クロッキーの目的から指導してくれるので非常に助かっている。何事も漫然とやっても上達しないので、目的意識を持ちながら練習するのは重要だ。とはいえ、現在本職のプログラミングに関しては完全に独学でアカデミックな指導とか受けたことないんだよなー。結局のところ、師がいなかろうと、毎日生きるために嫌でもなんでも続けているとそれなりに上達するってのはある。自分にとってのプログラムがプロの絵描きとか漫画家の人にとっては絵になるんだろう。

新しい漫画

新しい漫画のネーム作成中。

不良品、Decodeに続くロボット3部作となる予定。なんか百合っぽい漫画描きてーなって初期衝動から話を初めて見たが、結局SFサスペンスホラーみたいな展開になりつつある。いかんいかん。

このロボットというテーマについてはロボット研究者の 石黒浩さんの影響をかなり強く受けている。もし仮に限りなく人間に近いロボットを作れたならば、逆説的に人間にしか無いものが浮き彫りになるはずで、それによって人間の本質にせまれるのではないか、という考え方だ。石黒さんは、とんでもない労力をかけて実際に人間そっくりなロボットを作ることでまさにそれを実証しようとしているが、漫画の場合は思考実験で済むので気楽なものだ。

最近は、もし「優しさ」みたいなものを機械が再現できたら、人間は優しさを捨てるのか? みたいなことを考えている。実際、機械(ソフトウェア)は人間に優しくあることを強く求められ始めている。人間中心設計の流行はその一例だ。しかし、もし機械が優しさを完全再現できたら、優しさは人間の本質ではない、ということになる。機械にできることは人間がやる必要はないのだから、優しさは人間の価値ではなくなる。そう考えると、機械に優しさを持たせることは、怖いことに思える。

「天気の子」感想

巷ではエロゲっぽいとか言われてて、そういう路線で期待していた部分があったのだが、Airや三秋 縋の「君の話」を読んだ時のような感情の振れ幅はなかった。

じゃあ、退屈な作品か? と言われると全然そんなことはなくて、全体として飽きずに楽しんで鑑賞していたと思う。この作品は、アニメーションなのだという至極まっとうな結論に行き着いた。そもそも、ストーリーだけで評価するような作品ではないのだ。

 

新海誠は特に空にこだわりを持って表現してきた人で、雨や雪が作中で出てきたことも過去にある。しかし、ここまで土砂降りの豪雨を描いたのは初だったのではないかと思う。

 

まだ土砂降りの雨描いたことないから、描いてみるか、くらいのノリからスタートした作品が天気の子なのかもしれない。

とにかく、雨・水に対する表現のこだわりが凄まじく、この雨というテーマと人物をアニメーションとして面白く見せたい、という気概はものすごく伝わってきた。

 

もちろん、アニメーションとして表現したいことだけでは映画にならないので、何らかのストーリーは必要で、そこに本人の作家性を載せてしまうとああいう話になってしまうのかもしれない。

 

自分が好きな女性は世界から見ても特別であってほしい。自分は彼女にふさわしくない人間だ。という矛盾に対する葛藤が新海作品の根底に流れており、それは今回も変わらない。また、それはほとんど全ての男性に内在する葛藤でもある。特に男性はこれを無視できず、映像よりもストーリーについて語りたがってしまうのかもしれない。

 

初期の作品群は、ある意味その問題に答えを出していて、「僕」には「特別な彼女」は手に入らない、という結論だった。そしてそれが一部の読者の共感を呼んだ。俺に今彼女がいないのは「仕方のないことなのだ」という男を甘やかす論理と共鳴して人気を博したのでは、と思っている。「君の名は」からは、それを諦めず手に入れたい、というある種マッチョでリア充な方向性を目指して頑張って行くのだが、作家の中での何かが邪魔をしているらしく、素直に彼女を手に入れることができない。

「君の名は」も、実際、自分と彼女の関係に明確に答えは出していなくて、途中で終わっている。最終的に、名前聞いただけだし……。「天気の子」でも対して事態は進展していない。

 

この作品は最後「僕たちは大丈夫だ」というセリフで終わる。これってすごい不安を感じさせるというか、ぜんぜんポシティブに捕らえられない。

だいたい自分に対して「大丈夫」なんていい聞かせるとき人間は情緒不安定で、ちょっと狂っている。そして自分の選択を後悔している。この言葉で物語を締めるっていうのは、とても歯切れが悪くスッキリしない。それは作家自身の迷いを表しているように思える。

 

主人公は、幕間でヒロインとヤッてる、みたいに言う人もいるが、ヤッてないと思う。そんな度胸は主人公にない。と、自分では思うのだが、ここをどう捉える人かであの作品の見え方は全然違ってくる気がする。

 

ハリウッド映画のように、ラストはヒロインと抱き合ってキッスして終わり! に到達できるのはいつになるだろうか。 それはちょっと吹っ切れれば簡単に到達できる領域だと思うが、永遠に到達できない場所な気もする。もういっそ、シナリオはマーク・ポロニアにでも書かせたらいいんじゃないですかね。

 

(追記)

新海誠の作家性って、世の中を現象として捕らえているところなのではないか、と思った。片親で子供がいる男性が作中に出てくるのだが、どうして? とか掘り下げ描写はほとんどなくて、最初から世界にそういうものとして存在しているかのように描かれている。ヒロインや他の人物、現象も似たような感じ。決して人間が書けていないとかいう話じゃなくて、その前提で丁寧に描写されている。自然を描くには良い洞察だと思う。人間までそのように描写してしまうのが、この監督の特異性であり作家性なのかもしれない。ヒロインに対してすら、自然現象だから人間の僕にはどうにもできないっていう見方で世界を見ている。天気の子でヒロインが空という自然現象と繋がってしまうのは、この世界認識の延長上にあり、偶然ではない。

デッサン

近所のデッサン教室に通い始めた。初回は、グラスのデッサンを行った。以下今回の学び。

  • 鉛筆は人差し指と親指で持ち、寝かせて描く。いきなり強く書かない。濃さも2Bなど柔らかいものが望ましい。
  • まず画面の構図を決める、上端・下端の位置をきめ、バランスを取るためのガイドラインを引く。
  • 手首ではなく、腕・肩全体を使って、線をできるだけ長く引く。
  • 詳細の書き込みを行う前に、とにかくバランスの狂いを直す。起点となるポイントからの距離をチェックし、実物との差分を徹底的に潰していく。このときできるだけ消しゴムは使わない。この段階で良く観察して「差」を無くしていくことが一番重要。
  • バランスがだいたい取れたら、消しゴムを使って必要な線だけ残す
  • 最後に影などのディティールを書き込んでいく。濃いところは思い切って濃くする。このときはHBや2Hなど硬い鉛筆を使ってもいい。

そうして出来上がったのが、これ。だいたい1時間半くらいかけてこの一枚を描いた。

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こんな一見なんでもないグラスだとしても、1時間以上かけても全然描き写すことができない。描いても描いても真実にたどり着くことができない。これがゴールドエクスペリエンス・レクイエムなのか。